古川美術館 特別展 「装飾芸術の魅力 彩飾写本とアール・ヌーヴォーを中心に」

※こちらの展覧会は終了いたしました。

古川美術館所蔵の名品『ブシコー派の画家の時とう書』。時とう書とは、一般の信徒が使用した祈祷文書のことです。1412年頃にパリの工房で制作されたとされる本書は、欄外装飾や飾り文字など、聖なる祈りの言葉を輝かせる華麗な装飾が至るところに施されています。制作当時の装丁をそのままに伝えるものは世界でもわずかといわれ、完本として残されたこの貴重な本書を4年ぶりに公開いたします。

本展は、この見事な自然文様の“装飾”に着目しながら、彩飾写本の世界とその写本を参考にしてアーツ・アンド・クラフツ運動を提言したウィリアム・モリスの精神、自然への回帰を謳ったアール・ヌーヴォー様式の装飾品などを紹介し、近代デザインと中世美術との関わりに迫ります。

期間 2005年10月22日(土曜日)~12月18日(日曜日)
主催 財団法人古川会 / 古川美術館 / 中日新聞社
後援 愛知県教育委員会 / 名古屋市教育委員会
協賛事業 名古屋市民芸術祭2005協賛

展示品の解説

ヨーロッパ彩飾写本
英語で写本はマニュスクリプト・イルミネーション(手写文字/manuscript illumination)と言い、挿絵をさす「イラストレーション」という言葉とは区別されます。挿絵は文字であらわされている内容を解り易くするためのものであるのに対して、「イルミネーション」は書物を光り輝かせるものなのです。彩飾写本は7世紀頃から制作され始めましたが、時を経るにつれ輝きを増し、当館所蔵の「ブシコー派の画家の時とう書」や「ベリー公のいとも豪華なる時とう書」が制作された15世紀始め頃には、金・銀をふんだんに使い、あでやかな朱や明るい青でまばゆく光るものとなりました。元来、このような彩飾は神の言葉や事跡を「光輝ならしめる」ために、宗教関係の本に施されたものでした。しかし、時に、中世彩飾写本はマルコ・ポーロの「驚異の書」(東方見聞録)のように、ローマ・カトリックの内容から離れたものであっても、「美しいものとする」という理想を持って制作されました。当時、書物は大変貴重なものであり、宝物でもあったからです。このような彩飾写本も大変魅力的であり、見る者の楽しみを広げてくれます。

ブシコー派の画家の時とう書
この時とう書は、「ブシコー元帥の時とう書」(ジャックマール・アンドレ美術館蔵)と同じ工房で1412年頃制作されたものと考えられています。時とう書とは中世のローマ・カトリック教会で一般信徒が一日の定められたお祈りの時に使用したものです。時とう書のうち聖母への祈りを含む短いものを「小聖務日課」、典礼暦の祝祭日に関するすべての祈りを含むものを「大聖務日課」といいます。

「ブシコー派の画家の時とう書」は「小聖務日課」で次の項目が描かれています。

  1. 典礼暦
  2. ミサの福音
  3. 聖母マリアに対する祈り
  4. 小聖務日課
  5. 変更して唱える箇所
  6. 死者のための聖務日課
  7. 聖十字賞賛の聖務日課
  8. 聖霊の聖務日課
  9. 死者のための晩課
  10. 死者のための聖務日課

この小聖務日課のテキストには、イエス・キリストと聖母マリアの主題の扉絵が見事に描かれています。8~10にも、それぞれ扉絵がついています。美しい時とう書の世界をお楽しみください。

ブシコー派の画家の時とう書のご紹介

羊飼いへのお告げ

イエスが生まれた頃、ベルレヘムの野原では、羊飼いたちが野宿をしながら羊の番をしていました。そこへ神の御使いが現れ、羊飼いたちに救世主が生まれたことを告げます。そして、御使いは「いと高きところに栄光あれ」と祈りました。ここでは、神の御使いはその祈りの言葉が記された帯を手にした、かわいらしい天使の姿で表されています。

飾りとして描かれたような星や帯は平面的であるのに対して、遠くの山々はかすんで見えるように描かれ、奥行きが感じられます。このような表現方法は、平面的で装飾的な中世表現が終わりに近づき、奥行きのあるルネサンス的表現が生まれつつあることを告げています。

この時とう書は全ての細密画の周りを軽やかなつたが埋め尽くしています。そして、立体的に描かれたアカンサスの葉飾りが彩りを添えています。このような欄外装飾は、14世紀初頭から15世紀初頭にかけて流行した様式の1つです。

マギの礼拝

大きく輝き尾を引く星に導かれて、イエス・キリストを拝みにきた三人のマギ(占星術師)が描かれています。
マギは黄金、乳香、没薬(乳香、没薬はお香の一種)などの高価な贈りものをイエスにささげ、イエスは乳飲み子ながらも堂々とした姿でそれに答えています。

三人のマギは東方の占星術師として描かれることもありますが、「ブシコー派の画家の時とう書」が制作された時代には豪華な衣装をまとった王の姿として描かれることが一般的でした。

欄外装飾の下部、中央には10弁のバラの花が描かれています。中世ヨーロッパでは、白百合と共に棘のないバラも聖母マリアの象徴でした。左上部の帯状装飾には、「生命の泉」を象徴する壷とそこから飛び出す植物が描かれています。

祈りを捧げるダビデ

イスラエル・ユダ統一国家の王として歴史に名を残すダビデは、旧約聖書の登場人物であり旧約聖書の詩篇の作者でもあります。ここに描かれたダビデは竪琴をたずさえ、左上に見える神に自らの罪を悔い祈りを捧げています。神の周りにいるのは9人の天使です。
ダビデの罪とは恐ろしい悪行でした。或る日、ダビデは神殿の屋上から美女バテ・シエバが湯浴びしているのを見て、心を奪われます。そこで彼は王の立場を利用し、バテ・シエバを寝所に招きました。そして、彼女の夫ウリアを戦場へと送り、彼が戦死すると、バテ・シエバを妻として娶ったのです。このことは神の怒りを買いました。この扉絵がつけられているページには、ダビデが許しを請うため神に捧げた詩篇が書かれています。

欄外には一つのイチゴが描かれています。イチゴは地上世界における欲望の誘惑を象徴することがあります。

受胎告知

「見よ。あなたは身ごもった。男の子を産むであろう。その子をイエスと名づけなさい」
ここには、神の御使いである大天使ガブリエルが聖母マリアに、上のように告げている場面が描かれています。ガブリエルの持つ帯には「めでたし、聖寵満ち満てるマリア」と祝福の言葉が記されています。
時とう書に限らず中世ヨーロッパの絵では、このように祈りや聖書の言葉を帯の中に書き込む表現がなされました。画面中央には、マリアの純潔を表わす白百合が、画面左上にはこの光景を見守る父となる神が描かれています。また、マリアの頭上には、神から発せられた精霊を象徴する鳩が描かれています。このようにその場にはいない神の姿を画面左上や右上に描き込むことも、中世ヨーロッパではしばしば行われた表現でした。このページの欄外装飾は、どのページよりも華やかに描かれ、受胎告知というキリスト教の始まりを飾るのにふさわしいものとなっています。